B民藝における工夫の問題
すでに上でも少し紹介しましたが、今回の見学では、職人の中田さんに磁器生産の立場からのガス窯の使用についていくつかお話を伺いました。
まず、磁器の焼成は還元焼成。通常の陶器の酸化焼成に必要な温度が1000〜1300度であるのに対し、還元焼成は1300〜1400度まで窯の温度を上げなくてはなりません。高温で焼くということは、そのぶん陶器よりも燃料が必要です。登り窯のように薪を使って焚くと、ガス窯の20〜30倍近くの燃料費がかかってしまうそうで、普段使いのうつわとして売れる値段ではなくなってしまうとおっしゃっていました。
「もし仮に、自然の炎の力で偶然とても上がりの良いものが一つできたとしても、残りはB品になってしまう。炎による変化は陶器では味になるけれど、磁器では大半が、そうはならないものなんです。そうすると燃料費も相まって、一個の値段を飛躍的に上げざるを得なくなってくる。丈夫で使い良い日用雑器を作るのに、それでは、やはりいけないので。
と中田さん。
「手間暇かけてたった一つのいい作品を」というのは作家のやり方であって、「多産によって健全な生活のうつわを」という職人の仕事ではない、ということなのだと思います。
個人的に感じたことに過ぎませんが、中田さんは、ものの美しさに目の向く職人さんで、良いものを作ろうという工夫を怠らない姿勢を常にもってらっしゃり、だからこそ、常に職人としての仕事の域を意識して仕事をされているように思いました。
ものの良さを追求するのは必要なことだけれども、そればかり追っていては職人としての仕事を逸脱してしまう。日用雑器としてのうつわを作るために、踏みとどまらなくてはならない境界、美しさに関して妥協しなくてはならない点がどこかにあるのかもしれない、という考えが今回少し実感を伴って浮かんできました。
それだけ言うとそれが悪いことのようですが、そうして一個一個に神経質にならないことが、ものの「おおらかさ」や「てらいのなさ」といった民藝の美しさを生むこともまた事実であると思います。逆に、奇をてらうようなこと、作為的に味や造形を追求しすぎることは、かえって素材の良さや健全な仕事ぶりを損なうことになりかねないという側面もあります。
私たちは美しい手仕事のもの―民藝を求める姿勢は常にもっていますが、それにばかり気を取られては本末転倒になる。むしろ用に徹し黙々と仕事に取り組むことが至高の美しさを生むこともある。民藝の難しいところだと思います。これから、この道で生きていく自分にとっても、ひとつ大きな壁になってくる問題かもしれない、と心に残りました。 |