C複数人での協同生産
複数人が在籍する工房というのはガラスでも焼物でも一般的な在り方ですが、その中にはそれぞれが一人でひとつのものを作る全行程を行う工房(スタジオガラス)と、複数人が分業でひとつのものを作る工房があります。奥原硝子工房は後者で、一時に流れ作業のように複数人で仕事をこなす形をとっています。
工房全体を見渡すと、けしてせわしない感じはないけれども全員が絶え間なく動いている。一方でひとつの持ち場に焦点を絞って見ると、自分の持ち場の作業が終わりガラスを次の人に渡す、ほどよい一定の間を空けてまた次のガラスが来る、その繰り返しがリズム良く続いていることに気が付きました。体験の方が来て一時リズムが崩れても慣れたもののようで、みなさん動じることなく、まただんたんと元の作業リズムに戻っていきます。全体としての大きな流れがあって、個々人がそれに身を任せているような印象を受けました。
このように、奥原硝子はひとつのものを各工程ごとに別々の人が行う流れ作業でのガラス作りですが、その作業は全体を通して一定のリズムで進んでおり、一本の筋が通っています。また、複数人で行うからには、全体として機能していくために一人ひとりが全体のリズムに合わせなくてはなりません。
これは民藝の視点での見方かもしれませんが、それらのことがかえって良い抑止力になり、個人個人の動きに洗練をもたらしているのではないだろうかと思いました。
また、作業工程の中には二人がかりでやるものもありますが、常に二人そろって待ち構えているわけではなく、別の作業をしていた人がガラスが来たと同時にすっと持ち場につくような感じで、
人手が必要な部分に素早く入る、自分の持ち場に執心せず、柔軟に全体の流れの中で必要な場所を埋めに入る。各々「与えられた持ち場のことをやっていればいい」というのではなく、常に全体が見えている、一連の仕事を常に意識しながら自分の仕事に専念する、といった様子で、どの工程を見ても、やることがなく手持ち無沙汰にしていたり、逆にやることが多すぎて手が回らず困っていたりする光景は見受けられず、毎日の繰り返しで培われたチームワークの熟練度を感じました。
分業というと、「自分が全体でいうどの部分をになっているのかよくわからないけれど、自分の担当箇所だけマニュアル通りにこなしていればよい」、というイメージを抱きがちかもしれませんが、協同作業における手仕事はそうではありません。
現代の大量生産にありがちな、部分部分で実際に手を動かしている人々が全体を見えていない分業制とは違い、全体に溶け込みながら全体を理解して手を動かすのが協同という仕事なのだと思います。
全体として洗練されていながら個々人が神経質でなく、できあがってくるものも非常におおらかな奥原硝子。これがひとつ、理想的な共同体のあり方のように感じました。 |