鎌倉・もやい工藝  手仕事レポート


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その4 倉敷緞通

久しぶりの更新となりました。
今年の4月から、正式にもやい工藝で働き始めました。毎日今までとは比べ物にならないほどたくさんの手仕事の実物を見、触れるようになり、身の回りにまだたくさんの美しい手仕事があることを実感する毎日です。これから社会が移り変わっていくなかでも、変わらず良い手仕事をつなげていけるよう、しっかり勉強し、励んでいきたいと気持ちを新たにしています。

今回の手仕事レポートは、学生時代最後に、自分のふるさとで取材した岡山県倉敷市の手仕事、倉敷緞通(くらしきだんつう)についてです。

倉敷緞通は、郷が倉敷ということもあり、祖父母の家に敷いてあり、この世界に入ったばかりの頃は、私にとって数少ない使ったことのあるものでした。作り手である瀧山雄一(たきやまゆういち)さんに初めてお会いしたのは、2年前の仙台フォーラムでのこと。祖父母宅の古びた緞通から想像していたよりずいぶん若いので、もしかしたらあれは先代のもので、ここにいる瀧山さんは二代目なのだろうか、と考えていましたが、どうもそうではないらしいということが後にわかりました。

 

1. 倉敷緞通の歴史
昔は倉敷にある「日本筵業(にほんえんぎょう)」という機織り工場のような大人数の仕事で織られており、当時、柳宗悦ら民藝同人の先生方が見つけるや、芹沢C介が新たに図案を考案し、「民藝」の世界でも語られるようになりました。現在「定番柄」と呼ばれている5種類が、この時の芹沢C介によるものです。

 

倉敷緞通の定番柄5種

 

しかし、この日本筵業は、昭和61年に不景気も相まって廃業してしまいます。ただ一人当時の職員が細々と続けていたために、かろうじて機織り機が一台残っていましたが、ひとつの仕事としての勢いはほとんどなくなっていました。そんな中、倉敷緞通を復活させようと倉敷の中小企業の人たちが集まり、それを引き受けてくれる人を一人、募集したそうです。その当時瀧山さんは22歳、「大学に出したと思ってほうっておいてほしい」と家を出、日本各地を短期の仕事を見つけながら渡り歩いて四年目。そろそろ腰を落ち着けようかと思っていた時で、この募集を見つけるや、やろうと決心したとのこと。一度決めると勢いのいい人で、それから20年、すっかり生業にしてしまったと言います。今では比較的手に入れやすい民藝品として親しまれている倉敷緞通ですが、その仕事はこのときから新たに始まったものでした。今ある倉敷緞通は、良き手仕事の再生の、ひとつの大切な見本でもあります。

 

2. 工房見学
機織り機は以前の日本筵業の職員から買い取ったものですが、それ以外の機械はすべて瀧山さんの自作です。また、機械といってもコンピューターで制御するような難しいものではありません。緞通の製作には多くの工程がありますが、職人は瀧山さん一人。一人の作り手に対してあれだけの製品が出回っていることの陰には、やはりたくさんの工夫があることに、今回の工房見学で気が付くことができました。後に工程順に沿って、紹介していきたいと思います。

 

2−1 倉敷緞通 各部名称と材料

ヌキ

左:織る前のヌキ 右:完成品(裏地)

出来上がりの裏の部分。イ草の束に紙テープを巻きつけてあります。
倉敷緞通が夏でも湿気を溜めず使い良い理由です。

 

イ草
岡山南部は、昔からイ草の生産が盛んな土地で、倉敷緞通の裏地にもイ草が用いられています。以前は瀧山さんも地元の農家の人から仕入れていたそうですが、現在は九州から仕入れています。

 

紙テープ
愛媛県の川之江から仕入れているそうです。一度この仕入れに同行させてもらったことがあるのですが、直接車で向かい、雑談も交えつつ、こういう形にしてほしいというのを、サンプルとともに業者さんと話し合っていました。できたものを受け取るだけかと思っていたら、思いのほか長く2時間ほどの滞在になりました。いつもこういう感じなのか尋ねると、「ああいういらん話が、案外大事なんだ。」と瀧山さん。「相手の仕事のことがわかると改良の目途が立てやすくなるし、お互いの人と為りがわかると話しやすくなり、こちらの希望も言いやすくなる。うんと仕事がしやすくなるんだ。」とのこと。

 

リング糸

左:織る前のリング糸 右:完成品(表地)

出来上がりの表の部分。元は一本の糸ですが、自作の機械で縒り、写真のような形にします。軸糸を中心に短い毛先が輪になっているため、裸足で踏んでもチクチクせず、毛が不規則に倒れて不格好になることもありません。長い間使いこむと毛が全て寝て、なめらかな肌合いになります。

 


大阪から仕入れた無色の白い糸を、倉敷市児島の染色工場で染色してもらっているそうです。児島の染色業は比較的規模の大きな地場産業で、緞通の糸も染色一色ごとに箱単位での注文になるそうですが、定番以外の色は一箱分使いきるまでおおよそ10年かかるそうです。ちなみに糸の色は現在、赤、紺、白、黒、浅葱という昔からの定番5色に、マスタード、モスグリーン、こげ茶の3色が加わり、全部で8色です。

 

倉敷緞通の材料は「自然の素材そのまま」というものではないので、作り手の瀧山さん自身が、各地のいろいろな生産者のもとへ足を運び、「これなら使える」というものを探し、取引しています。瀧山さん曰く、「こういった必ずしも自然そのままではないものを材料として仕入れるからこそ、きちんとした見る目をもっておかなくてはいけない。」「良いものを仕入れようとする意識と同じぐらい、いやなもの・へんなものを仕入れない、というのは重要なことだ。」ということです。 故・久野恵一からも、「そういう、いやなもの・へんなものが、少しずつ混ざってきて、10年経ったら全然違うものになっていた、ということがよくある。作り手本人すらそれに気付いていない場合もある。使い手も、10年経つまでは気付かない。10年経って気付いたときには、作り手はもう元の仕事はできなくなっている…、そうなると骨格のある手仕事が一つ消える。日本から良い手仕事がなくなっていくのは、作り手がいなくなる、生活が厳しくてやめてしまう、それだけじゃない、そうやってなくなっていく手仕事がたくさんあるんだ。」ということを言われたことがありますが、倉敷緞通のような仕事には、民藝の中で語られる仕事で有り続けるために、しっかりとした眼を養い、諸所において神経を張っていかなくてはならない大変さがあるように感じました。

瀧山さんも、展示会・勉強会などによく足を運び、ご自身で集めた民藝品に囲まれた暮らしをしながら、自分の中にある種の美の基準が自然に身についていくよう、日々の暮らしから心がけているように思います。そして何よりも、それらをとても楽しんで励んでいる姿に心強さを感じました。

 

2−2 作業工程

次に作業工程です。

@イ草を洗う
仕入れたばかりのイ草には泥が付いているので、まずはこの泥を洗い流します。同時に、裂けていたり、ささくれたりしているイ草を選り分ける作業も並行して行います。
洗った後はすぐに干して乾かさなくてはならないため、よく天気を見極めながら手際よくする必要があるそうです。

 

Aヌキを作る
緞通の裏側、ヌキを作る工程。洗って乾燥させたイ草の束に紙テープをまきつけます。

ヌキを作る機械。瀧山さんの自作。

中央に紙テープのロールがついており、ろうとのようなものの中に切って長さを整えたイ草の束を差し込むと、モーターの回転で紙テープが巻きつくようになっています。紙テープを巻きつけることによって、イ草が床との摩擦でささくれたり散ったりしなくなるため、部屋を汚さず、長持ちするようになっています。

 

Bリング糸を作る
瀧山さんがヌキを作っている間、横にある機械がゆっくりと動いていました。

緞通の表側、リング糸を作る工程。この工程は、瀧山さん自作の機械が一手に担っています。非常にゆっくりとした動作の機械のため、このリング糸ができ上がらないせいで織る作業に移れないということもたまにあるそうです。

 

C織る
できたヌキとリング糸を、織っていく作業です。倉敷緞通の織り機はもともと、一人が横からヌキとリング糸を織り機に差し込み、もう一人が織る、という二人がかりの作業を必要とするものでしたが、瀧山さんの場合一人で作業しなくてはならないため、現在の織り機は横からヌキとリング糸を差し込む作業を手元のボタンで操作できるよう改良されています。
作業場である納屋の半分を占めるほどの大きな織り機ですが、これでも日本筵業時代よりは小型化。とはいえ、現在も3畳敷までの大きさを織ることができます。

単純な、整然とした作業工程と、瀧山さんの勢いのいい機織りの動作が相まって、びしっと決まった緞通が出来上がっていきます。

倉敷緞通の定番柄を考案した芹沢C介は、民藝の世界では馴染み深い染色家ですが、デザインの世界でもしばしば名前が取り上げられています。しかし、倉敷緞通の図案は、昨今の工業デザインのように幅や比率、色調をきちんと厳密な数値で表したようなものではなく、定規も使わず、雑紙に鉛筆でさっと線を引いただけのものだったそうです。そのため、細かいバランスは作り手の美的感覚と裁量だそうで、瀧山さんも何年もやっていくうちに今の形に落ち着いたといいます。
また、緞通は作り方上、縦一列はすべて同じ色の糸になります。しかし、かえってそれが、凝った癖のない、まっすぐな感じの気持ちよさを自然に出しているのだと感じました。作業工程からくる形や模様の制約は、「好きなように作りたい」ということから見れば不自由ですが、できあがったものを見ると、どれも非常にてらいのない、洗練された美しい模様で、こういった道理に適った制約は「いいものを作りたい」ということから見れば大きな助けであると実感させられます。

 

D裁断
織りあがったものを、製品のサイズに合わせて裁断します。
織り機の幅はちょうど一畳分の長辺の幅と同じなため、玄関マットやテーブルセンター、花瓶敷などの小さいものは、一畳や二畳の大きさで織ったあとに裁断して作られています。

 

E 周りをミシンで縫う
最後の仕上げです。

手先の細やかな作業ですが、手早く勢いがありました。できあがったものの縫い目を見せてもらうとどれもまっすぐで、全体が上下左右で傾いたりもしていません。最後の仕上げに至るまで、勢いのよさと整然さとが、一貫して保たれています。

筋が通っていること、一貫していること、というのは正直で真面目で迷いがなく、やはり清々しさ、気持ちよさを感じさせてくれるものだと思います。あれこれ考えていると、どこかにぶれが出てきてしまうものですが、それをさせないのが民藝でよく言われる「無想」という姿勢で、作り手が安心して身を任せられる伝統や型があるからこそ、出てくる美しさだと感じます。

 

A倉敷緞通いろいろ

花瓶敷、テーブルセンター

まずはここから。通常の織り物に比べて厚みがあるため、大きくて重たいもの、どっしりと重厚感のある印象のものを置いても遜色なく調和します。ほつれの心配もあまりないので、カゴやザルを置くのにも重宝します。クロスのように掛けたり垂らしたりして使うことはできませんが、その分、机なら机、棚なら棚にきちんと収まり、すっきりとした折り目正しい空間を作ることができます。

 

左:新品の倉敷緞通 右:使いこまれた倉敷緞通

瀧山さんの、張り合いのある力強さはものにも表れていて、玄関にあると出かけ際、心持をしっかりさせてくれます。一方で、愛媛で学生時代よく通っていた民藝のお店「ROSA」の入り口(ロサは靴を脱いでお店に上がる仕様になっています)にある緞通は、くたっとして優しい味わいのあるものになっていました。一日中日の当たる場所に置いてありながら色褪せはほとんどありませんが、使いこまれたことによる不思議な穏やかさ、柔和さが出てきていました。こういった経年による味わい深さも、緞通の魅力のひとつです。

 

紺無地の一畳敷。

無地の静かで潔い存在感に惹かれ、紺無地の一畳敷を自宅に迎えました。
一畳敷き以上の大きさになると、肌が触れる機会も増えますが、角のないさらっとしたさわり心地で、裸足で歩くととても気持ちが良いです。裏のイ草が通気性をよくし、表の糸が一本一本リング状に織られているためです。花瓶敷きやテーブルセンターなど、小さなサイズの倉敷緞通は何かと便利で重宝しますが、足の裏で踏んだり手をついて座ったりする大きさのものは、また一味違った使い心地の良さを感じることができます。

また、大きなものになればなるほど、赤などは強すぎるように感じ、マスタードやこげ茶や白などのやわらかい色を基調としたものを選ばれる方は多いかと思いますが、赤基調の大きな緞通を使っているという方からは、「赤も最初お店に並んでるのを見ると派手に思うんだけど、持って帰って置いてみるとそうでもないのね。」ということも聞きます。どんなものとも合わせやすく、緞通があるとしゃんとした部屋になります。一つひとつ異なる風合いや自然の変化といったものはありませんが、そのぶん余計な歪みが一切ない仕上がりは、独特の心持ちのよさを感じさせてくれます。

 

赤を基調とした三畳敷。

おそらく日本筵業時代のものですが、参考までに。とある古いお宅にて拝見しました。
モダンな雰囲気でひと際はっきりとした存在感をもちながら、古く静かな調度品ともよく調和し、とてもきれいに収まっていました。

 

3 現代の手仕事
工程を一通り見学し、一貫して印象に残っているのは、随所に見られた機械によって手間を省略する工夫の数々です。この倉敷緞通という仕事において、ものを多産・廉価に保つには、こういった機械の導入は不可欠です。瀧山さん自身も、「一人で多く作って、安く売らなきゃならないから、そのための機械は自分で作って導入している。何でも作れるものは、自分で作るよ。」と言っていましたが、民藝でよく言われる「多産・廉価」と「手仕事」を両立させることは、今の時代、とても大変なことだと思います。現代の民藝においては、手仕事が生き残るため、作り手がそれで食べていくために、機械を導入したり材料を他に頼ったりすることはある程度必要になってくる、しかし頼り過ぎたり、頼り方を間違えたりすると、民藝としての美しさや一つの手仕事としての骨格が損なわれたりしかねない、といったジレンマが常に付きまといます。瀧山さんは、そういった時代と環境の中で、自分の眼を鍛え、倉敷緞通を健全な手仕事として現代に生き残らせてやろうという熱意をもって仕事に打ち込んでいるように感じました。そういった熱意と工夫、それにそれらを楽しめるタフさは、これからこの道で生きていく私にとって大事なお手本でもあります。作り手と使い手をつなぐ立場として何ができるか、私自身も、未来に良い手仕事を守り伝えていこうという熱意をもって、これから先、たくさん学び、励んでいきたいと思います。

2016年6月 藤原 詩織

撮影協力(敬称略):指出有子(手仕事フォーラム), 瀬部和美(手仕事フォーラム), ROSA, 手しごと

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