浜田庄司、河井寛次郎という民芸派巨匠に教えを受け、丹波立杭焼(兵庫県)の近代陶業化に取り組み、現代民窯立杭焼を再興した奥田康博氏(大正9年生)は、昭和40年頃伊勢市朝熊山麓に窯を築き「神楽の窯」と命名しました。卓越した陶技と優れた陶人としての骨格を持った奥田氏はその後多くの弟子を育成、陶工を輩出させましたが。専念亡くなられました。この「神楽の窯」に18歳で弟子として入門、二十余年にわたって奥田師を手伝い支えた地元出身の陶工に、 服部日出夫さんがいます。彼は堅実な職人として名を馳せ「神楽の窯」の将来を嘱望されましたが独立し、松坂に近い勢和村に「いろは窯」を設けました。師匠譲りの成形と絵付けで個人の力量を主眼とする作陶を続け今日に至っています。
しかしながら私は彼の職人としての鍛えられたロクロ成形の反復による仕事ぶり、自己を主張しない温かみのある焼物の魅力に長年注目してきました。ちょうど私と同年代、60才を越し、今後は作陶という立場より、世の人々に安心して使われる、手の温もりを伝える暮らしの器つくりを再考したいという思いが募ってきたのだそうです。この話から昨年より私は彼と無事でつかいやすい器を創製すべく取り組んでまいりました。今回ようやく形となり初めてご披露することになりました。
白化粧泥土がやわらかく上がり、それでいてよく焼きあがった白無地の焼物達です。(もやい工藝 久野恵一) |