鎌倉・もやい工藝  手仕事レポート


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その5 ノッティング

はじめに

今回の手仕事レポートでは、ノッティングの作り手、外村ひろ(とのむら ひろ)さんの仕事場を取材しました。ノッティングは、ひろさんの義父であり、ひろさんの出身校である本染手織研究所の創設者でもある外村吉之介さんが考案した椅子敷のことです。まずはその成り立ちから、ご紹介したいと思います。

 

第一章 歴史

1. ノッティングの歴史

ノッティングの形は、ペルシャ絨毯+日本の座布団のようなもの、という発想のもと生まれたものだそうで、その見た目にはどこか異国情緒が漂います。また、外村吉之介さんをよく知るひろさん曰く、ウール工場で出るたくさんの余り糸をどうにか捨てずに有効活用できないかと考えた結果だったのではないか、とのこと。「木綿往生」を訓戒としていた外村吉之介さんらしい着眼点だと感じます。

 

2. 倉敷本染手織研究所

外村吉之介さんの設立した倉敷本染手織研究所という織りの学校が岡山県の倉敷美観地区にあります。
倉敷川を挟んで向かい側には同じく外村吉之介さんの建てた倉敷民藝館があり、本染手織研究所では織りの技術的な習得だけでなく、民藝の思想や美を実物に触れながら学ぶこともカリキュラムに含まれています。また、基本的には在学中の一年間は研究所に住み込みで、日々の掃除や洗濯、炊事なども教育されます。
こういったことからも伺えるように、外村吉之介さんはこの研究所での教育を通して、日本の女性たちが家庭に入った後、身の回りの生活のものを自ら織り、使えるよう育てていく、という目標ももっていました。そのため当時も、織りの職人になるために入所する女性がいる傍ら、花嫁修業の一環としてこの研究所に入所する女性も大勢いたといいます。
外村ひろさんは前者で、もともとご家族の影響で若いころからそういったものを作ることに興味があり、研究所に入所する前にも、10日ほど益子に滞在し焼物を学んだりしたそうです。そのうちに倉敷民藝館に出向く機会があり、そこで織りの美しさ、特にその素朴で深い自然の色に惹かれ、染織に興味をもったひろさんは、倉敷本染手織研究所への入所を決めたそうです。

 

第二章 作業工程

1. 材料
経糸は木綿のタコ糸を使います。
緯糸(座面の生地になる部分)はウールか木綿を使いますが、今回のレポートではウールのほうをご紹介します。
ひろさんが研究所にいた頃は、工場で余ったウール糸を専門に売る「残糸屋(ざんしや)」という商店がたくさんあり、ノッティングのウール糸も残糸屋から仕入れていたそうです。
製糸業が盛んな名古屋の一の宮駅周辺は軒並み残糸屋だったといいます。
現在はウール工場の閉鎖に伴い、残糸屋というものはほとんどなくなってしまっているため、ニッケというウールの会社から仕入れた生成りの糸を染屋さんに染めてもらい、使用しているとのことです。

使われる糸は全部で16色です。

 

2. 糸を作る
経糸は、木綿糸74本(Sサイズのものは68本)を一本に整経します。
緯糸はウール糸150本を一本に整経し、経糸に結んでいきます。

まず、5本の糸を大管に巻き、それを計10本整経台に立て、糸を3回重ねることにより、150本一束に整経していきます。
現在はコーンですが、研究所にいた時代は「カセ」といって、糸を輪状にまとめただけのものだったため、そこから5本ずつ縺れないように糸を外していく作業は、非常に骨の折れる仕事だったといいます。

ウールの糸

10本の大管に巻いたウールの糸

完成したウール糸(150本一束)

 

1×5=5本→5×10=50本→50×3=150本

こうして準備した経糸と緯糸とを、専用の織り機で織っていきます。

 

3. 織る

ノッティングの織り機

 

経糸は、木綿糸74本(Sサイズのものは68本)を一本に整経します。
緯糸はウール糸150本を一本に整経し、経糸に結んでいきます。

 

オサ

 

オサ。ここに張った経糸に、ウールを結んでいきます。

 

緯糸を編む

 

二本の経糸に巻き付けて結ぶことによって二つの毛足を作ります。この毛足の部分が、ノッティングの表面(座面)になります。
毛足の片方は糸の端がそのまま使われるため、時たま櫛で梳かして毛先を揃えながら作業していくそうです。両方の毛足をハサミで切って揃えても問題ないのですが、そうするとその分だけ無駄になる糸がたくさん出てしまいます。
研究所にいた頃に、「ウールは5cmでも捨てるな」と外村吉之介さんは厳しく指導されていたそうで、「そんな無駄を出したら叱られてしまうから」とひろさん。その話しぶりから、今でもその教えを守り、自然からもらった材料を無駄なく使う、ということを大事に仕事に励んでいるのだと感じました。
ちなみに、当時のノッティングの毛先の長さはだいたい1.5cmでしたから、(ノッティングは一続きの糸の束で2マス分(毛足2本)と結び目を作らなくてはいけないため)5cmというのは、ノッティングに使える本当にぎりぎりの長さです。

 

綿テープ

 

一列結んだら、綿テープで一往復平織りし、オサで叩いて締めます。織りの作業は、この繰り返しです。

 

裏から(織りかけ)

 

裏側(完成品)

 

一裏から見ると、構造がよくわかります。

 

マス目の図案

 

上:エクセルで作成したもの、下:方眼紙に手描きしたもの
このウールを経糸に結んでいく作業は、このようなマス目の図(1マスが毛足一本分)を見ながら行います。
この図も、今はパソコンソフトのエクセルで作られていますが、昔はひとつひとつ方眼紙に手描きしていたそうです。

あとは織りあがったら裁断し、経糸の先を玉結びにして完成です。

この織る作業は、何日もまたいで少しずつ進めていくと体の感覚が変わってきて統一感のある織りができなくなる、やはり集中して継続しないと良い仕事にならない、とひろさんは言います。
そのため、研究所を卒業後家庭に入られたひろさんは、しばらくの間本腰を入れて織りをすることはなくなっていました。その間、いつかまた織りをやりたいという気持ちを抱えながら、なんとか織り機だけは手放さずにいたそうです。そうして、今から12年前、ようやく仕事に精を出せるだけの余裕ができたひろさんは、研究所を卒業して以来40年ぶりに、ノッティングの仕事を再開することにしたそうです。

 

 

第三章 製品紹介

1. 図案

ノッティングにはたくさんの図案があります。

ノッティング柄見本

 

図案の数は年々増えてきていますが、初期からあるスタンダードな図案も健在です。

外村吉之介考案の柄

 

写真は外村吉之介が考案したもので、半世紀経っても古びないロングセラーです。

また、図案の数は、丸より四角のほうが圧倒的に多いですが、その理由は、図案を考えるのが難しいからというよりは、丸型のノッティングを織るようになったのが最近であるため、まだあまり種類がないのだということでした。

一通りの図案を見てもわかるように、ノッティングは繰り返しのパターンや幾何学文様といった模様を表現するに留まっています。色も16種類の定番色の組み合わせです。

たくさんの色を使って複雑な模様を作っていくのは、手間も神経も余計に使い、多産の仕事、無心の仕事は難しくなってしまいます。また、無地や単純な模様は飽きもこず、平素の空間によく馴染みます。外村吉之介が「無地極上」という言葉を残していますが、こういったノッティングのデザインは、作り手にとっても使い手にとってもちょうどいいものなのだと感じました。

 

2.サイズと形
丸、四角、それぞれSサイズ(直径30cm)とMサイズ(直径36cm)があります。
椅子の形に合わせて決めたり、好みの図案で決めたり、それぞれの需要に合わせてオーダーできます。

 

椅子に置いてみても、丸と四角、四角でも大きさの違うもの同士、ではずいぶんと印象が変わってきます。

 

3.使用例

緞椅子は長野の松本民芸家具のもの。やはりこういった民藝のものとの相性はとても良いです。
また、長年使い込まれたことによりウールの毛が寝て、より柔らかく味のある風合いになっています。

 

同じ物ですが、左は新品、右は使い込まれたものです。

 

部屋の一角にノッティングがあると、部屋全体がとても温かい空間になります。

 

お気に入りの柄のものを一枚、自分の作業場で愛用するのも良いと思います。
まずはひとつ、と考えられている人は自分のいつも座っている作業机の椅子に敷くものを選んでみてはいかがでしょうか。

 

ノッティングの活躍の場は住居の中だけではありません。
人によっては日ごろとても長い時間座る車の座席シート。
いつも座る運転席に敷いても良いですし、写真のように後部座席にいろいろな色のものを横並びにしても楽しいです。

 

 

おわりに

ノッティングは基本的にあまり大きなものではないため、ほかの焼物や前回レポートした倉敷緞通などと比べると、非常に小規模で仕事をすることができます。ひろさんの仕事場も自宅の二階にある一部屋だけで、そこに織り機が2台、整経台が1台、並べられていました。この小規模であるからこそ、家庭に入った女性の仕事として続いてきたという側面もあるのではないかと思いました。こういった手仕事がその時代の環境に合わせて残っていっていることは、手仕事の未来を考えたとき、とても希望の持てることだと思います。
外村吉之介さんの民藝館や本染手織研究所が、こうして現代に続き、実を結んでいます。これから先、手仕事が残っていくために、今どんな種を蒔くことができるか、もののこと、現代社会のこと、いろいろな方面にアンテナを張って、考えていけたらと思います。

2016年9月 藤原 詩織

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